2019.6.1. ブログスタート! 

92.感情をニュートラルにしておく事の重要性

92.感情をニュートラルにしておく事の重要性

感情の塊で生きてきました(笑)。

怒ればすぐ顔に出し、嬉しければ狂った様に高揚する(笑)。

そして、

前まではそれをあまり悪いと考えた事も無く、「むしろ人間的でえぇやないか?」と真面目に思っていました(笑)。

一方、

いつも冷静で感情表現をほぼしない人に対しては、

「冷たい人」
「裏がありそう」
「他人を観察するなんて怖い」
「アラ探しでもして後で人にネタ提供でもする気か?」

と、ほぼマイナスのイメージしか持っていなかったクチ(笑)。


ただここに来てようやく感情をニュートラルにしておく事の重要性に気付き始めたので持論をシェアします。

興奮時は判断力が甘い?

何かに気付いて興奮状態となり「オリャー!」と何かをやっていこうとする気持ちになった事ってありませんか?

ついでに始めてしまう事も(笑)。

前までは「すぐやる」事は良い事だと思ってましたがひとつ難点を挙げるとするならば、

感情が高まった興奮状態は判断力が甘い

という点。

判断力が甘いから物理的にも難しく、周辺状況にも配慮せずとんでもない事を「オリャー!」っとやり始めてしまう。

結果、ほぼ達成できずに終わるという・・・。

ただ、

客観的にも「すぐやる」事は良い事だとされているので(その先での軽微な失敗も想定しつつ)それ自体は悪くないのだけど、興奮時はやりたい事をちゃんと達成する為に必要な環境をイメージできないまま「やる!」と言ってしまいがちだから良くないという事。

逆を言えば、その事さえ分かっていれば興奮時にやりたい事が思い付いた時には、「今、(自分は)興奮しとるな」と意識し、それを達成する為に必要な環境を現状から作れるか?を冷静にイメージする時間に移行できれば良いと。

あくまでやりたい事を「達成する為」に冷静になる必要があるという事であって、冷静になって「やらない」と決める為に感情をニュートラルにする訳じゃありません☝

その他、

家族や仲間と共に暮らしたり仕事をしている人だと、興奮状態から「我武者羅」になるのは良くないと。

「我武者羅」は一心不乱に物事に取り組んで一見プラスな印象を持ちそうな言葉ですが、「他人を顧みない身勝手な状態」という解釈もあるそうです。

「これはきっと家族(チーム)の為になる!」

と1人気を吐き頑張ってみても、周囲の人にとって迷惑な状態では助けも得られずやはり達成が難しくなります。

繰り返しますが、

以上の点から感情をニュートラルにしておく事は「やりたい事を達成する為」に、冷静な判断を下せる状態になければならないので重要と考えます。

仲間が集まらない?

もうひとつのきっかけはJIBITAに「仲間が欲しい」と思い始めた事。

それを思い始めて行きついた疑問は、

「ところでなんで自分には人があまり集まって来ないんだろう?」

という事(笑)。

そうは言いつつも、思い当たるふしはいくらでもあったり(笑)。

ただ、割と大きな原因は私が感情そのままをむき出しにする姿勢があったからではないかと。

自営業は良くも悪くも公私ともに自分の好きな様にできます。その中で自分を戒める人間は自分と妻しかおらず、意識しないといくらでも自分勝手を通す事になり、それが習慣化し強化されます。

しかし戒める立場の自分がその環境の中で感情コントロールがさえできないとなると、その点を見抜いている人は少なし

「めんどくさそう」

となるのは明白(笑)。

しかも以前は自分の一番の理解者であり協力者である妻との仕事上のケンカがとにかく多く、一方でそんな妻ひとりに信頼される事もできずに仲間が欲しいとかそりゃ無理じゃ!

と気付く(笑)。

自分の情けなさを認めるのは苦しかったけど、いつか仲間と出会い面白い事をしていく夢を叶えるには、先ずは妻からの信頼を得られんと誰も集まってくれんど!と、その後はマネージメントを勉強し始めたり、怒りの感情が顔をのぞかせそうになった時は「目的は何か?」を意識するだけで感情が落ち着きを戻す事に気付いたりと、色々試しながら2か月ぐらい経った頃には妻とのケンカ自体が激減(というかもうほぼしなくなっちゃいました 笑)しました。

そこでようやく気付いたのが、感情をニュートラルにしておく事の重要性でした。

仲間と生きる為にも必要?

自分の周囲の冷静かつ感情をあまり表に出さない人の傾向を見ると、社長職やリーダー、または組織人でマネージャー的立ち位置の人が多い様です。

そしてこれまではその人達の何ともとらえがたい感情の見えない言動に

「何考えとるか分からん」

と思う事がしばしば・・・。

ただ、

妻の信頼を勝ち取る為に実践した幾つかをこなし続ける内に、

「冷静でいる事」
「相手を観察する事」

は、もしかすると相手のあら探しをする為じゃなく、相手との良好な関係性を維持、向上させる為に必要な事なんじゃないかと捉え方が変わってきたのです(大発見!)。

マネージャーやリーダーが「好き」とか「嫌い」という「感情」で仲間や部下と接していると、その関わり方では本来チームとして達成すべき目的から逸れていく可能性も大な訳で。

嫌いでも苦手でも言う事聞かなくても、その仲間や部下にどうにか動いてもらわないといけない場合がある。

その時にイチイチ感情むき出しだと物事は進まないけど、心を落ち着かせて相手の心の機微が見える状態で適宜必要な接し方ができれば、導く事も引き上げる事も可能な筈。

更に補足すると、

「感情」で動く場合の意識のベクトルは「自分」。

「感情」を抑えて動く場合の意識のベクトルは「相手」や「目的」。

妻との例で見ると、

私が「自分」しか見ていなかった時はケンカが多く、(恥ずかしい!)

「妻」の心持ちや、「目的達成(業績アップ、仲間に出会う為の準備、自身の矯正)」に意識を向けるとケンカが激減。

といった感じ。

つまり、前まで

「何考えとるか分からん」

と思っていた人達のあの冷静な言動は、強く感情で動く扱いにくい私との間にでも、どうにか良好な関係を維持する為に努力してくれていた状態だったのではないか?とすら思えるのです(楽観的過ぎるか?)。

また、

それまで持っていたあら探しという考え方に関しても、そもそも自分の中で「あら」と思っている部分をおざなりにし、それを咎められたくないから観察しないでくれと言っている様なもので、自分の言動を丁寧にさえ行えば観察されても怖くなく、「あら探し」と言われた相手からすればとばっちりな訳で・・・。

更に更に!

冷静な人同士が集まると決してドライな空気感は流れてはおらず、むしろ笑顔で楽しそう。

きっと相手を尊重する重要性や距離感の保ち方を知っている者同士だと、良い意味で感情を出しあう事が可能になるのだろうと想像したり。

つまり、

「自分」優先に意識が向いて我武者羅なスタイルだと、仲間が集まりにくい!

という事なんだろうと仮説が立ちました。

単独(最大単位でも夫婦)で生きていく事が悪いわけではないし、仲間と生きていく事だって悪い事じゃない。

ただ、

どちらのポジションを取るかで、「あり方」も違わねばならないという気付き。

という事で、

私自身は今後仲間が欲しいのでいつか仲間と出会う為に、そして出会った仲間と面白い事をやっていく為に、感情をニュートラルにしつつ先ずは妻からの信頼を勝ち取る修練を積み続けます(笑)。