90. 「他人事」より「自分事」?

さて、新年が明けました。
この2020年はパラリンピック閉会式以降から、日本沈没の始まりみたいな記事も散見され(ガクブル…)ある意味気持ちが引き締まる思いですが、「沈没してたまるか!」という事で(←大げさ)今年もじっくりやっていきます(笑)。
そして新年一発目のブログは、昨年ブログを2か月以上放置しつつも、
「自分は本当は何がしたいのか?」
という自問自答をし続けて少し考えがまとまったので、気付きも含めて記します。
奪う人から感じた憂い
実は昨年中、一番大きな衝撃を受けたエピソードは娘(小5)が同級生から言われた次の言葉を聞いた事でした。
「〇〇(←娘の名前)ちゃんは幸せそうだからイジメたくなる」
我が家は夕食時にはテレビを消して子供達に今日一日何があったかを聞く様にしていますが、その際に娘から聞いたこの話に正直ぶっ飛ぶというか、信じられんというか、恐怖や怒りや不安みたいなものが押し寄せました。
娘はそれをきっかけにその同級生にされた事や、他のお友達にしていた事をよく話してくれる様になったのですが、その子の家の内情やされた事の詳細は控えるとしてその内容たるや心中穏やかでいられないものばかり。
そして実はこの話を聞く少し前から娘の言葉遣いが汚くなったり、鋭く冷たい目つきをする様になっていた事に気付いていたのですが、きっとその子の影響を多分に受けた事と自己防衛の為にしみついてしまったものだろうと推察しています。
同時に、
イジメをしてくる娘の同級生も家庭環境の影響下に置かれて形成された人格なのだろうと思うとその子に罪はなく、またその子の親もきっと子にその様な影響を与えてしまう環境下で育ってしまったのだろうとも思うのです。
「与えてもらっていないと奪いたくなる。」
「創る事ができないと奪うしかなくなる」
以前に聞いた事があったそんな話を娘のエピソードから思い出すと、
「与えてあげられる環境」
「与えてもらえる環境」
「創り出す事を教えてあげられる教育」
の重要性に気付くと共に、現状の日本の教育の仕組みがその点から大きく乖離している事に悶々としたり、
一方でフィンランドの教育改革のとてつもなさと好結果を知ると、
「日本は一体、何やっとんじゃい 泣!?」
みたいな気持ちが高まり、そんな環境を 「どうにかしたい」という気持ちが大きくなってしまっていました。
本当の夢と現実の自分
以前、「妻と世界を旅する様に生きる」事が夢である事を記しましたが、その理由については触れてきませんでした。
その理由は、その先に目指す夢が本当はあったのですが、壮大過ぎてそこまでは公言する事ができなかったからです。
ちなみにその夢を端的に言うと、自分の地域やコミュニティーくらいにはせめて
「与えられる環境」
「与えてもらえる環境」
「創り出す事を教えてあげられる教育」
という仕組みや状態を作りだしたいというものでした。
娘に起こった問題に端を発し、今まであまり関心を持たなかった教育や諸々の事を学んだ結果、娘に起こった問題の原因らしきもの知ると(本当に知れているかは不明 笑)、それさえ改善できれば世の中が良くなるのでは?
というあまりにも単純な思考から生まれた夢だったのです(笑)。
そして当時の私は今住んでいるこの町に居るままだときっとその夢は達成されないという気持ちがあり、その夢を達成する為には世界中の多くの異文化に触れ、学び、成長し、仲間を作る事が必要と感じ、それを「世界を旅する様に生きる」という表現としたという訳です。
とっくに気付いて動いている人はいた
日本の教育の仕組みや構造を知れば知るほど、それらの改善には期待できないどん詰まり感を感ぜずにいられなくなるものの、「小さくでもできる事は無いか?」みたいな事を考えたりしてました。
例えば私塾みたいな感じで。
でも結局その仕組みが有料なら与えてもらえるのはそれを払える家庭の子だけになるし・・・、
でも本当に与えたいのは普段与えてもらえていない子達なのに・・・、
でもその時間の間だけ与えられても(満たしてあげられたとしても)家に帰って感覚をリセットさせられると意味が無いし・・・、
みたいな感じで、結局は「どうにかしたい」という気持ちはあってもどうする事も出来ない事に気付かされたり・・・。
そんな中、
YouTubeでグロービス(教育系テーマ)を見ていたら、日本のそういった根本的な問題に対してとっくに警鐘鳴らす人達はいて、鳴らすばかりではなくそれこそ私塾的な規模から学校までを運営しているすんごい人達がいる事を知ったのです(お恥ずかしい・・・)。
学歴もネットワークも思慮深さも豪胆さも実践値もとてつもない人達がそういう問題に取り組みつつも、全体の仕組みの変化にまでは及ばずもがき苦しんでいるの知ると、良い意味で
「今の自分には無理」
という事に気付かされたのです(笑)。
先ずは一番身近なものを大切に
自分が少しも世の中を良くする事ができなくても、せめて一番身近な自分の子供達は守りたいという気持ちは変わらず、たまにお他人様へ娘に起こった事を相談させて頂く事があり、その中で
「(子供達が)帰って来た時に逃げ場所になれる様な家庭があるだけで良いんじゃないですか」
という事を言って下さった方がおられました(ちなみに私よりも10歳以上も若い方) 汗。
その方は幼少期にイジメを受けた経験まで踏まえて、時に厳しくしかしいつも優しく守ってくれるお母様と御家族の存在が心のよりどころとなり、学校で辛い事があっても踏ん張れた、という事を話してくれたのです。
確かに環境が人を作るなら、家族はその人を作る基礎になるはず。
基礎がしっかりしていればぐらつきにくくなる事も明白。
という訳で学びと気付きから高揚し、興奮した感情により生まれた「壮大な夢」は一旦置いておいて、先ずは自分の家族を足固めしていく事が重要なのだと気付かされました(お恥ずかしい・・・)。
タイトルの『「他人事」より「自分事」?』というのは、「他人の事なんか知ったこっちゃない!」という意味ではなく、「自分事ができてからでないと、お他人様のお世話なんてできやしないよ」という意味において。
そしてしっかりとした「自分事」をベースに、その環境下で育った我が子達がいつか周囲に好影響を与えられる様な人になってくれたなら、せめてそのコミュニティーだけでも素敵な関係性が保たれ発展していくのだろう、というのが今のところ辿り着いた答えです(また変わるかもしれんけど…)。
ただもう少し深掘りすると、基礎となる家族作りもそう簡単ではなさそうで、そもそもリーダーである父親がしっかりしてないと基礎自体がおかしいものになってしまう事にも気付きました(笑)。
という事で、また改めてその点についての進捗や気付きも綴ってみます。
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