2019.6.1. ブログスタート! 

80.【萩焼】について改めて考えてみた ③‐2 応用芸術(御用窯以外の作家 )編

80.【萩焼】について改めて考えてみた ③‐2 応用芸術(御用窯以外の作家 )編

こんにちは、のぶちかです。

今回は「応用芸術」の内、「御用窯以外の作家」編を私の個人的主観としてお送りします。

念の為、応用芸術についておさらいしておきましょう。

応用芸術とは?

絵画,彫刻などの純粋美術もしくは自由美術に対して,実用性,有用性をふまえた美術のこと。工芸美術全般,装飾美術,現代のデザインなどをいう。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「応用美術」

ポイントは、鑑賞のみが目的となるファインアートに比べて「実用・有用性」を伴った美術という事☝

「実用」で言うと、

抹茶碗を筆頭に花入、水指などの茶道具全般がこの「応用芸術」に属しますし、その他、「茶陶」を離れた大きな壺や花瓶なども属します。

作り手の構造整理

応用芸術と大衆芸術の区分

ここまでは前回と同じです。

ちなみに前回補足していなかったのですが、私個人としては「作家」という呼称の区分を明らかにしており、そのボーダーは上図の通りです。

厳密にはより細かい設定が必要ですが、今回は分かりやすくする為にこんな感じで☝

御用窯以外の作家は多種多様

世襲系作家ベテラン

「おいおい!毛利藩御用窯は最たる世襲系じゃないか!?」

というツッコミが聞こえてきそうですが、紛らわしくてすいません 汗。

ここで言う「世襲系」とは、御用窯を除いて今でも数代続いている窯元(作家)を指します。

興りの理由は様々ですが、7~8代と長めに続いている窯もあれば現在で2~3代目位の窯もあります。

御用窯ではないので、千家家元から書付 (そのお道具の真贋の極め⦅箱書き⦆を家元によって記してもらう事) をもらう事はできません(方法は無くはない)が、それでも萩焼人気が爆発的に高い時期には、茶道ニーズからその他ニーズまで補完し、大きな財を得ました。

しかし、現状では茶道ニーズの大きな低迷や、他の産地及び作家の人気に押され、隆盛期に比べ大きく衰退。特にいわゆる伝統的萩焼が制作物のメインとなる作家は競合も相当数おり、なおかつ価格も割と高めで一般客が手を出しにくい事から、非常に苦しい状況にあります。

一方、

自身の表現のあり方に、伝統的萩焼から離れ独自性を与えたベテラン作家もわずか数名おられます。

そこには当時の萩焼にはまったく存在しなかった表現があり、しかもその表現を始められたのは伝統的表現の萩焼がまだ人気絶頂期中の事だったので(2019年現在から30年以上前)、商業ベースで考えるとその動きは相反するものとなります。

しかし、それから30年以上経ってもその作家の表現は萩焼や陶芸ファンを魅了し続けるという事実も起こっており、この事はつまり全ての世襲系作家ベテランが総じて苦しい状況にある訳ではない事を意味します。

フリー作家ベテラン

この場合の「フリー」とは、一代で作家となった方々を指します。

「ベテラン」という表現も抽象的ですが、年齢的には50代半ばから上のイメージです(ざっくりと)。

萩焼人気絶頂期、大きな萩焼メーカーで職人として腕を磨き独立するパターンや、御用窯で職人として腕を磨き独立のパターンなどがあります。

また、上図で作家「応用芸術」と「大衆芸術」のボーダーとして「公募展受賞歴多数有」と書いてますがこれに補足を加えると、茶陶に関してのみ言えばその作域が優れていたり、ある一定以上の作域に達している作家は「公募展受賞歴」が無くても(少なくても)作家に類しています(私基準で)。

この部分は陶芸素人の方には大変分かりにくい抽象的な部分となりますが、プロや本当の目利きは見た瞬間に良し悪しを判別できる一種の規則性の様なものを持っています。

その感覚には、

「価値は(見る)人それぞれじゃん」

という、ある意味「なんでもあり」という危険な捉え方を寄せ付けない秩序があり、それにより高度な作り手も支えられているのも事実なので、ここに補足しておきます。

さて、「フリー作家ベテラン」の強みはひと言で、

作ってきた量

と言えます。

萩焼が作っても作ってもニーズに追いつかない時代に、鬼の様に作りまくる時期を経た事から、必然的に作る技量が高くなっていったという事です☝

もちろん作るという事は失敗の数も計り知れず、それにより失敗しない為の引き出しも増えるという事なので、

高い技量で作れて失敗も少ない

この状態にある作家を概ね「フリー作家ベテラン」とカテゴライズする基準にしています。

制作物は現状として古典的な風を踏襲した萩焼がメインで、中には古萩(古い時代の萩焼)以外にも唐津焼や高麗茶碗、美濃陶を模す作家も存在します。

いずれにしても、古い時代のものや伝統的な枠をベースにしている作家が多いのが「フリー作家ベテラン」となります。

しかし、

その中において伝統的な萩焼にも造詣が深く、その伝統系作品のアウトプットの質も非常に高い上に、対極のオブジェや日常雑器まで相当なクオリティーで表現され、オブジェ陶による大きな公募展でのグランプリ受賞歴もあるなど、自他ともに本域での「作家」と言える方もおられる事を記しておきます。

結局萩焼は、おおまかに作り手を言葉でカテゴライズしようとしても、あくまでその制作活動は個人単位なので、本質的には各個人にスポットを当てる事の方が正解なのでしょうが、本論では便宜的に大まかなカテゴライズをさせて頂いてりますので多少乱暴な所はありますが、予め御理解の程をお願い致します。

世襲系作家若手

若手と言っても40代層がメインで、前述の「世襲系作家ベテラン」組の直系。

先代や先々代の時代に萩焼がとてつもなく売れた時代を間近で見てきた層となり、その為か、自らに持つ陶芸の美しさや素晴らしさの基準が同族の作品に依拠する例が多く見られ、またその状態に疑いを持たない作家も多いです。

あり方は人それぞれなのでそれ自体は全く悪くないのですが、商業ベース及び今の陶芸界の潮流を軸に考えるとその内の多くが劣勢に立たされている様に見えます(萩焼に関わらず全てのジャンルでトップ層は一部だけではありますが)。

しかし、

ここにもごくわずかながら独自性を発揮し、伝統と革新の両軸から常に進化と変化を繰り返す作家がいます。

大きな客観的評価としては、某公募展でのグランプリを複数受賞するなどがあげられますが、受賞内容はオブジェ。

つまりそれは、

「萩焼」というカテゴリーから「陶芸」というより高い領域における表現への昇華が認められたという事。

この時点で上記3者に共通するのは、どの時代も世代も伝統に重きを置く制作活動以上に、高い次元で独自表現を貫いた作家の方が客観的評価を得ているという事実です。

更に特筆すべきは、その評価を得ている作家は決して新しい事しかできないのではなく、基礎的かつ伝統的な表現を体得した後に独自表現へ至っている点です。

そこから生き残りのヒントを見出すとすれば、

守破離

この概念に自然到達し、そして体現し続けられるかが生き残りの鍵を握っていると言えそうです。

フリー作家若手

この層が他の産地に比べ尋常じゃなく薄いのが今の萩焼界です・・・。

一方で岐阜県、愛知県、滋賀県、石川県等々は続々と若手作家が増えてきています。

その違いの原因は幾つか考えられますが、

「 (陶芸・窯業) 学校の有無」

これはかなり大きいと読んでいます。

その他、

4~5年前あたりに聞いた若手作家のリアルな声としては、

「萩(焼)という土壌に閉塞的(排他的)なイメージを持っている」

というものでした。

その内実はともかく、若い作り手が萩に集まらないとどういう現象が起こるか?

それは競合産地やその他作家に、

「置き去りにされる」

という事です。

競合ひしめくエリアはそれはそれで競争が激しくなる一方、常に競争原理が働いて急速に進化を遂げていきますが、その事は「ずっと変わらなくて良い」という思考に対し、今後よりその差を開いていく事を必然とします。

また、周囲の環境が他人の多様な表現を認め合い励まし合う状態の場合(他の産地でよく聞く状態)、そこには自由に創作しやすい環境が生まれ、それにより人が集まり続け、更に進化・発展を繰り返していく事となります。

ではその逆を進む場合はどうなるか?

推して知るべしです。

しかし、

実際に萩焼の土壌が閉塞的(排他的)かと言えば決してそうではありません。それどころか、色々な作家との交流の有用性を理解している作家も多いです。

つまり憂うべきは、

本来は歓待モードであるにも関わらず若手作家(の卵)が制作の拠点に「萩」を選ばないという事なのです。

「(陶芸・窯業)学校」があればそれが大きなきっかけとなるでしょうが、それは難しそうとなれば、もうひとつのきっかけとして考えられるのは、萩焼作家の作品が彼らから見て魅力的に映る事と考えます。

若手作家(の卵)が多くの魅力的な萩焼を見て、「あの産地なら学びが得られる」と思ってくれれば自然と彼らも集まり始めるでしょうし、集まれば切磋琢磨し合う土壌ができて相互にレベル向上も期待できます。

とにかくこの停滞する現状の打破には、作家それぞれの努力・工夫は前提としても、他所からこの「フリー作家若手」枠を増やし、彼らの新たな価値観に触れる環境を意図的に作る事も必要と考えています。

そして彼らをライバルと捉えるよりも、引き上げてくれるきっかけと捉えられれば、自然と現状の停滞が解かれていくと考えます。

展望

御用窯以外の作家の展望を結論から言えば、

明るいです。

以下、理由を説明していきます。

①必要なものが揃っている
➡これから買い揃えるものが無いという事は、これから始める作家に比べて投資が要らないという事。つまり、借金の必要が無いので運転が非常に楽なのです。

②作れる
➡個人差はあったにせよ既に技術習得が終わっているので、あとは何を作るか?どう見せるか?どう知ってもらいどう売るか?に注力すれば良い訳です。

そして売り手の私からするとこの「作れる」力には大きな憧れを持ってしまいます。なぜなら、売り手の勘として市場に喜んでもらえるものがどんなものか、ある程度イメージできるからです。現代の陶芸や器ブームでは、人気作家は2年待ちという事も珍しくなくなってきています。その中で供給をいかに早くなすかは、売り手としても超重要ミッションなのですが、そんな時「自分でも作れたら…」と何度も考えがよぎるわけですが、現状では作れません。

しかし、作家にはそれが可能です。しかも器ブームなので、アウトプットまでのスピードが早ければ早いほど、このチャンスに乗る事ができます。

「萩焼は(もう)売れない」

そう思っている萩焼作家がおられたとするならば、とても悲しい事です。

なぜなら萩焼が売れない訳ではなくて、売れる器や作品は作り出せるからです。

萩焼よりももろい作品を作る作家は全国にたくさんいます。
吸水してカビが生える性質のものを作る作家だってたくさんいます。

しかし彼らが売れていないかと言えば、そんな事をものともせず人気を博しています。

この可能性を信じ、すぐにでも新たな挑戦に向かう事さえできれば、少なくとも個人レベルでは状況が大きく変わると断言できます。

「作れる」力にはそれほど大きな可能性が秘められているのです。

③伸びしろが大きい
➡今の萩焼は若い陶芸ファン市場にとっては、陶芸界のエアポケット状態(あまり知られていない)に近いと見ています。逆に言えば、これから市場に注目される器や作品が多く生まれれば、萩焼全体への注目度も増して、作家個人はもとより萩(焼)全体への好影響も考えられます。

人気の高い他の焼物産地でさえ、人気が出てから5年以上経過するとマンネリする部分も生まれ、また、行く・買う頻度が高くなるにつれ飽きを感じてしまう顧客層も増えていきます。しかし陶芸が好きな顧客は「どこかに面白い器(作品)は出てこないか?」と、心待ちにしてくれているのが現状です。

顧客が「買わない」というより「買いたいものが無い」

という状態だとすれば、

「買いたいと思うものは何か?」

を調べ、考え、試作し、販売する、を繰り返し、売れるものへの勘を高めていければ、状況は必ず変わってきます。

萩焼が飽和状態でないという事は、新しい魅力のある萩焼が生まれた場合、それだけで市場にとっては新鮮で訴求力が高い焼物に映る可能性が高いです。

その意味で現状の萩焼は伸びしろが大きく、成長の可能性が高い産地だと考えます。

まとめ

・「御用窯以外の作家」は多種多様だが、その中で「フリー作家若手」層のみが非常に薄い。他地域からこの「フリー作家若手」が入ってき来て相乗効果が生まれれば、自然と萩焼の停滞感は解けていく可能性大。その為にはその様な状態を作っていく事が重要。

・その他の各層には少数だが必ず全国区の凄腕作家が存在し、その共通パターンに見えるのは、「守破離」に通ずる伝統の踏襲から離れた領域。そこに生き残りのヒントを感じるかどうかが鍵。

・展望が明るい理由は、必要なものが揃っている環境で既にもの作りの技術を習得している事。あとは何を作り、どう見せ、どう知ってもらいどう売るかだけ。器ブーム、陶芸ブームにありながら若い陶芸ファン市場に対し、萩焼がエアポケット状態である事はむしろのびしろ。諦めずに新たなもの作りへの挑戦を繰り返せば、萩焼ブームの再来すら不可能ではない。

本日は以上です。

補足(主に作り手の方へ)

・本論は基本的に商業ベースでのお話なので、「好きなものを好きな様に作っていられればそれで幸せ」という方を否定するものではありませんし、それ自体が悪い事では全くありませんので誤解のない様にお願い致します。

・「ニーズに合わせるのではなく、自分が作ったものの良さを分かって欲しい」という場合は、見せ方・売り方等を変えれば少なからず可能性は高まります。

・「伝統を守りたい」のか「伝統に依存している」のかでアウトプット(作品)に差がでます。もし「伝統を守りたい」場合は、完全に古典(例:古萩)に根差したもの作りに挑戦するのも良いかもしれません。なぜなら、現状の萩焼でそのパターンを採用している作家が極端に少ないからです。また、陶芸の根強いファンには古典好きの方が多いですが、萩焼の中に古典に根差した作品が少ない事もファンは知っています(唐津は多い)。だからこそ待ってくれている可能性が高いのです。しかし古典ファンの年齢層は高めかつ、若いファンは少ないので、挑戦するなら早めをおすすめします。その際、土は既製品ではなく原土を使う(混ぜる)と、圧倒的に焼き上がりの品格が変わるのでおすすめです(むしろ必須)。

・「伝統に依存している」場合は、ここ数年の萩焼へのニーズが高いか低いか一度客観的に見直してみる事をおすすめします。依存するものにニーズが少ないなら、依存していても難しいと言えるからです。しかし、依存できるという事はニーズに合わせたもの作りがしやすいとも言えるので、中途半端に自分が作ってみたいものがあってそれを譲れない作り手よりは、柔軟にニーズに対応していける可能性があります。しかしニーズを追うスタイルの場合、流行りのサイクルが年々早くなってきているので、ワンアイテムで乗り越えようとせず、常に新しいものを作り続ける事を前提として持つ事が大事です。